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  • 11 時間前
  • 読了時間: 1分

近藤達郎をはじめてみたのは、たぶん大阪の服部緑地公園だった。

1978年か、1979年。

もしかするとその数ヶ月は前後するかもしれない。

毎日国際サロン?

帝塚山女学院の学園祭?

だったかもしれない。

当時の彼はGAS(ガス)というバンドのメンバーで、わたしはそのGASに夢中であった。


GASは石田長生(g)、藤井裕(b)、松本照夫(dr)、中西康晴(p)、そして近藤達郎(key)。

白いシャツに黒いズボン。

学生のような格好だったように記憶している。

直後に金子マリのアルバムで近藤達郎のクレジットを見つけ、石田長生とはそこで知り合ったのかと考


2019 近藤達郎/青空AZURE
2019 近藤達郎/青空AZURE

えるようになった。金子マリにはバックスバニー時代に難波弘之という、当時のギタリストやベーシストにはない違う雰囲気を持ったキーボーディストもいたので、彼はその延長戦上にいると勝手に思い込んでいた。Wikipediaによるとバックスバニーとのセッションが近藤達郎のプロ・デビューであったと書かれている。


次に彼をみたのは、正確には見かけたのは1980年前半のチャクラだった。

渋谷のスタジオか、どこか。

相変わらずブカブカの白のワイシャツに黒のズボンとたくさんの譜面を持っていたように思う。

 
 
 

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