近藤達郎をはじめてみたのは、たぶん大阪の服部緑地公園だった。
1978年か、1979年。
もしかするとその数ヶ月は前後するかもしれない。
毎日国際サロン?
帝塚山女学院の学園祭?
だったかもしれない。
当時の彼はGAS(ガス)というバンドのメンバーで、わたしはそのGASに夢中であった。
白いシャツに黒いズボン。
学生のような格好だったように記憶している。
えるようになった。金子マリにはバックスバニーの難波弘之という、当時のギタリストやベーシストにはない違う雰囲気を持ったキーボーディストもいたので、彼はその延長戦上にいると勝手に思い込んでいた。Wikipediaによるとバックスバニーとのセッションが近藤達郎のプロ・デビューであったと書かれている。
次に彼をみたのは、正確には見かけたのは1980年前半のチャクラだった。
渋谷のスタジオか、どこか。
相変わらずブカブカの白のワイシャツに黒のズボンとたくさんの譜面を持っていたように思う。レイドバックしたサウンドを特徴とするGASやバックスバニーのようなバンドでの近藤達郎しかしらないわたしにとってチャクラでの近藤達郎に違和感を持たざるおえないかったが、すぐにニューウェーブバンドのほうが彼にフィットする感じた。70年代にわたしが彼に抱いた印象「(ギタリストやベーシストとは)違う雰囲気」というのはそのことだったのかもしれない。

それにしても今日(2026)、その金子マリと小川美潮が時折、一緒にライヴを行なっているのは偶然なのだろうか? そのときのピアノはたいていの場合、渋谷毅なのだけど。







